PRE STORY – 一章 –


 青天の霹靂という言葉がある。
 簡単に言えば青く晴れ渡った空に突然現れた稲妻のような――予想外の出来事を指す言葉だ。
 悪戯をしている時にいきなり親が帰ってきたでもいい。食パンをくわえたあの子と街角でぶつかった、でも構わない。
 人生に『ドラマは無いが付き物で』。青天の霹靂なんてものは、無いようで案外あるもんだって事は分かってる。
 だけど、ほんの何時間か前の俺に『今』を語り聞かせたなら、聞く耳を持たなかっただろう。
 夕焼けの教室で、いつもの居眠りをしていた俺に『ここ』の事を説明したら、絶対に笑い飛ばされたと言い切れる。
 断言する。
 何時間か前の俺は「頭でもおかしくなった?」ってバカにしたように笑うんだ。
 俺は、夢見てるわけでもなく、妄想をしてるわけでもなく。
 それでも――今はまるで別物だ。
「痛っ」
 頬を抓ってみても痛みは確かにあるのだ。
 頭がおかしくなったわけじゃない。断言するから、聞いてくれ。
 こんな事仮に誰か他に居ても素面で言えるわけないから独り言で、俺は俺に認識させるために言う。
 俺の目の前には――漫画とかアニメでしか見たことないような光景が広がっていたんだ!
「解決しねー……」
 良くあるシーンだから、良くあるラノベみたいに応答したらどうにかなるかと思ったけど、そんな事は全く無かった。
 圧倒的な空気感が、網膜に焼き付く光景の衝撃が――余りにも鮮やかで、余りにも馬鹿げていた。
 もう一回、頬を抓ってみる気にもならない。
 どっかの節じゃないが、思考回路はショート寸前なわけだが、つまりは。これがフィクションとか夢の類じゃないのは本能的に分かる。
 混乱しているくせに叫ぶことも焦ることもなくて只、棒立ちのままに俺は掌を見つめた。
 生きてる……よな?
 死後の世界ってやつかと思ったけど、違う。
 現実なんだよな、紛れもなく、いや、死んでるかもしれないけどそういうわけもないよな……
「……何だ、これ」
 そういう事しか、できないだろう?
 ――呆然と震えるその声は、二度目を聞いてみてもまるで自分のものじゃない。乾いた唇から零れ落ち、頭蓋の外に出た唯の音はぐるぐると空回って――再び鼓膜から俺の中に入ってくる。酷く他人事のようなイメージをノイズのように頭に浮かべて、俺はもう一度呟いた。
「何だ、これ」
 実感こそ無いものの、意識して何度か声を出したのが良かったのか。
 靄がかった思考に幾らかの現実感が戻ってきた。
 ……俺の目の前には恐ろしく古い石造りの広場が広がっていた。世界史で勉強したギリシャの神殿跡に近いか。
 吹き付ける風は強く、冷たく――若干息苦しいから酸素が薄いのかも知れない、という推測も立つ。
 教室で居眠りした筈がこんな場所に居たならば、それだけでも十分事件だが、最大の問題はそこじゃない。
 精々が数百メートルも無い空間のそこかしこには雲が浮いていた。ぐるりと周りを見回せば、古い石造りの階段は開放感の過剰な空間に空の梯子をかけているかのようだった。
 少なくとも下を見たくないし、出来れば渡りたくないやつ。
『標高の高い山の神殿』に居るならば、少なくとも似た高さの稜線位見えなければ不自然だ。それなのに、何もない。何も無いのに、周囲の全てがぽっかりと青の中に浮いている。そう、それは『作り物の中で見た幻想の庭園』だ。RPGで言うなら最初か最後にありそうな場所。俺の場合、状況からして最初か。画面で見るなら最高、実際居ると高いだけで怖いけど。
 そしてそれより何より気になるのは……

 ごああああああああ――

 ……ファンタジー世界に俺が居るってだけでも勘弁してほしいのに、『岩の塊』が叫んでるとかやめて欲しい。
 ……ゆっくり動かした俺の視線が正面に捉えた『岩の塊』(としか呼びようの無い何か)が体の芯まで響くような『声』を上げている。
 右手奥少し向こうには明らかに二メートル以上のサイズがある赤い肌の四本腕――人間と呼ぶのが正しいか自信が無い――筋肉質な男が多分、超怒ってる。
 更にそこから視線を少しずらすだけで今度は背中から羽を生やした女の子が周りの反応に不安を隠せず、存在感を消そうとするかのように小さくなっている。
 うん、天使ちゃん。気持ちは分かる。逃げたいよな。君だけなら色々許すけど、他はやっぱり勘弁して欲しい。

 ……よし。何が何だか分からないぞ。

 つまり、冷静にここまでを整理しよう。
 県立天川高校に通う二年生帰宅部、月原亮(つきはら・たすく)――こと我等が俺様は放課後教室で居眠りしていた。
 中身はあんまり覚えてないけど、甘くてふわふわして何となくいい夢を見ていた気がする。
 気付いたら(多分)物凄い浮いている感を醸す神殿(?)に居て。そこには岩人形やら裸の赤鬼やら天使ちゃんやらが居て。
 生きてるのか死んでるのか、多分生きてるけどここが所謂天国なのか、そーでないのか。訳も分からないまま、今現在に到るまで絶賛優良大混乱していると――そういう事になる訳だ。
 憶測するなら……

1、俺は勇者か何かの生まれ変わりで特別な運命に導かれてこの世界にやって来た。しがない神社の傍系、しかも次男坊だけど。

2、俺は現実世界で事故か何かに遭ったのが切っ掛けで異世界に飛ばされた。覚えはないけど。

3、何か知らないけど、これから異世界転生もの無双ハーレム展開が始まったりする。願望だけど。

4、現実は残酷である。世の中は大抵都合が悪い。

「――やっぱり何一つ解決してねぇっ!」
 ついでに大いに冷静でも無かった。これが叫ばずにいられるか!
 思わず大声を上げると、周りの人達(?)が一斉に俺を見た。
 ハテナをつけて不自然じゃないとっても個性的な皆さんは(多分)奇異の視線を俺の方に向けている。
 思わず俺は何時の間にか握っていた刀を構えて……うん、これ家の蔵にあったやつだな。
 これまた何でかは知らないがここに来た時から持っていたようだ。
「無し、今の無し!」
 ……遅れて圧倒的な無謀に気付いて構えた刀を背の方に追いやる。
 持って叫んだ俺というアイコンに突き刺さる「あの人どうしたの?」みたいな反応が痛い。いや、今のを見て「なんだこいつ」って顔するのは当たり前なんだけど。
 そも周囲におられるどう見ても人間じゃない方々は刀一本でどうにかなるような方々にはとても見えない。
「いや、あ、その、全然、全然、そのお構いなく! あはは、うん、気持ちいい日っすね!」
 上擦った声で咄嗟に俺がそう言うと「驚かせるなよ」と目の前の岩の方がそう言った。
 迫力過剰なビジュアルを裏切るように。呆れたような、苦笑いしたような……何とも人間らしい感情が伝わってくる声だった。
 ……あれ、案外この人いけたりする?
 つーか、日本語ってファンタジーでは公用語なのか?
「あ、あれ……あの、と、取り込み中すいません」
「取り込んでねーよ」
「ですよねー」
 失礼だが、明らかに周辺の人(?)達も大多数は混乱しているだけにしか見えない。
「それで……何だよ。
 ここが何処だの、何が起きただのは俺も知らねぇぞ」
「……いや、それも重要なんですけど。そもそも言葉、通じるんですね」
 繰り返すけど、相手は明らかに人間では無い。それは間違いないが、伝わってくる言葉と意思は明瞭だ。
 こんな訳の分からない状況でも……辛うじて話せる相手が居るのは心強い。情報収集的に考えても、俺の情緒的に考えても間違いない。
 現金にも少しだけ安心して……もう少し話を聞いてみる。
「あー……失礼ですけど、日本語喋れるんスね」
「ニホンゴなんざ知らねぇよ。分かるのはドレン・クーガだ。何となく……お前のトコの言葉ってのは分かったがな」
「ド、ドレ? あー、何となく……そうですね。それ、貴方の世界の言葉……ですよね?」
 ドレッシングだかなんだかは分からないけれど、伝わっている。
 表現が難しいが、一瞬の理解は言葉を交わしているからというより、イメージが流れ込んでくる感覚に近い。
 全力でファンタジーな状況じゃ正確な事は何も言えないけれど、状況は何となく分かってきた。サブカル的に考えて。
 俺は日本語を話しているし、岩の人はドレン・クーガ(?)を話している。『何となく』それを理解出来ているって事は、これが都合の良い夢だから。
 ……じゃなくて、そう思いたいけど。そうじゃなくて、多分『そういう事だからそういうもの』なのだ。ファンタジーの設定に現代日本の常識をふりかざしても、元からあるようで無い理屈の力技には勝てない。
 ただ、ああ。ゲームとかアニメとか、とにかくそういう状況何だってのは何となくわかってきた。
 これが夢だったら盛った感じで先輩とかクラスのみんなに言いたいけど、そんな訳なくて、多分、これは現実で――俺は。
 俺、月原亮は。

 ――ファンタジー世界に来ちゃった――

 それに、はい、そーですって言われても納得は出来ないけど。
 納得しなくちゃならないのだろう、と、思う。
「突然、貴方もここに居たのですか?」
 羽の生えた女の子が俺達の話を聞きつけて混ざってきた。
 実際にどうかは分からないけど、見た感じ中学生位に見える。俺より少し下位か。
「ああ、うん。居た……ってのも変な言い方になるけどさ。
 居た、だよなあ。そうとしか言いようがない感じ」
「私もです! やっぱり、あなたも一緒なんですね!」
「……やっぱ、お前も? まじかー、一緒だな」
「はい。私、ナサリー家に仕えるフェルシナムのラティ・クルスっていいます。貴方は?」
「俺は月原亮。日本人で、高校生」
 天使ちゃんの不安は納得づくだ。
 フェルシナムなる聞き覚えの無い単語がさる高貴な人に仕える……召使いのようなものだという事はすぐに分かった。
 よくよく見れば細かい部分こそ知っているものと違うけど、何となく彼女の服装はメイド服のようなものに近い。質実剛健なクラシカル調というよりは――都会の電気街なんかに行けば良く見かける『特徴をデフォルメした可愛さ極振りタイプ』のものだけど。
「ああ! 亮様はウルベグクなのですね!」
「……うん、それだと思う」
 ……単語そのものは聞き慣れないけど、彼女の言う所のウルベグクは、日本流に言うと当然『高校生』といった所だ。
 何となくイメージが伝わってくる感覚も先程よりも慣れてきた。違和感がなくなってきている。
「どうやら全員、突然ここに居たって事みたいだな?」
「そうみたいですねぇ。他の人なら何か分かるかと思ったんですが……俺と一緒って事は意味不明、ですよね」
「ああ。こっちの期待も見事にぶっ壊してくれてありがとよ」
 岩の人が明後日に視線を外し溜息を吐くように言う。
 彼は然程気落ちした風も無く、もう一回俺の方を見返してきた。
「これからどうすんだ」
「うーん、学校に戻りたいんですけど、何分何が何だか」
「お前。ちょっとその辺を見て回るか」
「あ、はい。お供するッス」
 見た目が怖い割に案外話しやすい人である。俺は一も二も無く頷いた。隣のラティもコクコクと同意のポーズを見せている。
 何せこんな状況である。何が起きても不思議はないし、怖くないと言えば嘘になる。控え目に見ても岩の人は俺とラティを十人集めたより強そうだ……って言うか、一発殴られたら間違いなくスクラップ確定だ。
 こんな状況だ、断ったら殺されるかもしれない。寧ろ、危ない目に会ったら岩の人が守ってくれるかもしれない……最悪盾にできるかもしれない。
 じゃなくて! 岩の人の仲間に入れてもらえば、多少のトラブルは何とかなる……気はする。
「なんか言ったか?」
「いえ!」
 ――俺、まだスクラップになりたくない。
「そうか、そうか、じゃ、行くか!」と笑う岩の人が豪快に腕を振りかぶる。
「ちょ――」
 あ、死ぬ。
 多分『親愛の情で背中を叩く』的な。クラスの山崎がよくやるあのめんどくさいスキンシップ的な。
 いや、山崎位ならいいんだ。でも、岩の人、お前がそれじゃちょっとヤバい――
「ちょ――」

 ばしん。

 明らか死んだって思ったのにそうでもない。
 普通なら間違いなく相当ヤバイアレの筈が……思った程の衝撃はやって来ない。精々それは馬鹿の山崎にふざけて殴られた位の感覚だった。
「何だ、お前案外強いじゃねぇか。鍛えてんのか」
「あ、はい。どうも。一応剣道とかやってましたけど……岩の人さん程じゃないと思いますけど、マジで。
 ええ、いや、でも、死ぬかと思ったッスよ。岩の人さん、スゲー強そうッスから! 覚悟決める暇も無かったッスけど!」
 心の底からの宣言である。全くこんな強面の割にきちんと手加減してくれる岩の人の株価は俺の中でストップ高だ。
「岩の人って何だそりゃ。ドズと呼べ、ドズと」
「はい。ドズさん。宜しくお願いするッス」
「何だ、勝負か。勝負はいいぞ、力試しは戦士の風習だ」
「腕の太さ見て下さいよ! 俺の胴回り以上でしょうが!」
 冗談では無いとはこの事だ。
 大した人生じゃないが、そう簡単に諦めたくもない!
 ラティはクスクスと笑い、ドズさんは小さく舌を打った。
「それ所じゃないでしょ、今!」
 首をぶんぶんと振りながらも、何か――違和感。
 俺は何だか自分が自分じゃないみたいな変な気分を味わっていた――