PRE STORY – 二章 –


 夕方になっても肌寒さを感じないあったかい日だった。
 絶好のサボり日和。帰宅部の面目躍如。
 フツーの男子高校生である俺の充実のプランニングは完璧だ。
 誰が何と言おうと一点の曇もなく完璧。視界良好と言い切れる。
 ガッコがはけたら山崎とゲーセンに行ってもいいし、部屋でゴロゴロ漫画を読んでも構わない。
 我ながら何と生産的な時間の使い方だろう!
 ……しかしまぁ。ついてない時はついてないもんだ。
 そこにまつわる紆余曲折(エトセトラ)の具合は悪く。間も悪く。運もやっぱり悪すぎて。
 俺はと言えば、元々やる気もゼロだったのに押し付けられた委員会招集から逃げ損ねて……
「亮君は案外要領が悪いからね」
 ……悪戯気たっぷりにそう言ったセンパイを突っ伏した腕の間から見上げていた。髪をかき上げたセンパイの頬の横で俺をからかうように黒いほつれ毛が揺れている。
 決める事があるようでなく、会議は踊るというヤツで――たっぷり一時間半は付き合わされた。これから何をしようにも億劫で、失われた黄金の放課後に、恨み節の一つも吐きたくはなる。
 何故、人は会議が好きなのか。会議で何かを決めたいのか、それとも唯会議がしたいのか。
 学校から社会にまで通じる大いなる命題の一つであろう、うん。
「ま、きちんと出席した事は褒めてあげましょう」
「それって一体誰の所為ですかね?」
「だから要領が良くないって言ったじゃない?」
「……本気出したら凄いッスよ、俺」
「委員決めをサボって欠席裁判。委員会の日を忘れて――無事拿捕。
 もし亮君の本気が凄いなら、それは私に逢いたくてわざと捕まってるって事かしらね。うん、それしか考えられないわ。亮君が図書委員って――文学に対しての反逆だもの」
 ひどく大事にする人である。
 無意味に仰々しく、無意味に壮大な彼女のトークは大抵の場合質の悪い冗談に過ぎないのだけど。この御方が我が校の生徒会長である所を考えると、実にポジショントークを良く理解している御仁でもある。
 ……冷静に考えると単なるトリックスターなのかも知れないけど。
「本気出したら凄いですってば。剣道部からはちゃんと逃げたでしょ」
「ホントよ。勿体無い。元々強いんだから、そっちこそ続ければ良かったのに」
「あー……イマイチ競技剣道は得意じゃないんスよ」
「御実家、古武術だっけ、神道だっけ?」
「ハーフって所っスね。歴史だけはあるみたいなんで、基本そんなに由緒も金も無いですけど――所詮分家ですしね」
 肩を竦めるとセンパイは独特の調子で猫のように笑う。
 センパイは本性を良く知っている俺でもたまに嫌になる位美人だから――似合い過ぎるその仕草は目の毒だ。
 真偽は分からねど、撃沈した男の数が二桁とか何だとか不穏当な話を聞くに、この人の思わせぶりスタイルは筋金入りなのだ。
 健全な男子高生を何だと思っているのか。散った英霊達を思うに、思へば憤懣やるかたなしも同じ男児として当然である――
「ぼーっとしないの」
「此の世の正義について考えていただけです。ちなみに悪鬼羅刹はセンパイです」
「何それ」
 きょとんとしたセンパイは小首を傾げて笑っている。酷い人だ。間違いなく。
「まぁ、でも何となく合点はいくわね。成る程、成る程って感じだわ」
「……何をそんなに納得したんですか」
「亮君は実戦派なのかって思ってねぇ。流石、川西中学の眠れる銀光」
「あのですねぇ!」
 おいちょっと待て、何処から生えたその恥ずかしい異名だか称号は!
「川西中学の黒き迅雷だっけ?」
「どっちでもありませんし、前回は川西中学の静かなる疾風でした」
「そーだっけ?」
「……………」
 人間、嫌な事の方が良く覚えているというのは納得だ。
 いじめっ子の側が忘れても、いじらめられた側が忘れないのはさもありなんである。
 確かに中学時代競技剣道でそこそこの成績を取ったのは確かだけど、聞くのも恥ずかしい珍妙な名で呼ぶのは紛う事無くこのセンパイ一人……って言うか、その呼び名自体がこの人の創作だし。
 天川高校に入学してから半年。一つ年上のこの美人生徒会長様は何でか俺を気に入って、こうしてからかって遊ぶのを日常にしている。
 くすぐったいような、迷惑なような、嬉しいような、迷惑なような。迷惑なような。
 迷惑の数は包み隠さない俺の本音で、しかし何だかんだ言いながらも付き合ってしまうのは俺も男だからなんだろう。うん。
 センパイの語り口は何時も軽妙で、真剣に話しているようでその内容の大半はどうでもいいし、他愛もない。
 一事が万事この調子で、掴み所がないから厄介だ。案外何も考えてない気もするけど、聞くのは怖いから内心だけにしまっておく。
 月原亮の日常は今日も今日とてさして変わらず、『くだらなくて貴重な時間』は学生生活そのものだ。
 今の俺のミッションはしょーもない時間を全力かつ真面目に過ごしているセンパイを適当にやり過ごす事で、それはそれで悪くなかった。
「亮君、ちょっと聞いていい?」
「嫌です」
 反射的即答。
「亮君、ちょっと聞いていい?」
「だから嫌です」
「亮君、ちょっと聞いていい?」
「絶対に嫌です」
「亮君、ちょっと――」
「――今時、RPGでも無いんですけど、それ」
「そうねえ」と笑うセンパイに溜息一つ。「どうぞ」と吐く。
 どうせ話を聞かない人に無駄なHPを使うのは愚鈍の極みなのだ。
 決して俺が負けている訳ではない。オトナの対応をしているだけだ。本当なのだ。
「君は――色々退屈?」
 からかう調子はそのままに、センパイは少しだけ声のトーンを落として聞いた。
 猫のような吊り目が細くなっている。口元に浮かぶ微笑は謎めいていて、綺麗だけど少し怖い。
 真夜中の美術館に迷い込んだら――こんな感じか?
「楽しいですよ、学校」
 それは間違いない。面倒な時は面倒だが、山崎(ダチ)とつるむのは悪くない。
 極めて頭の悪い、極めて非生産的な時間――何をするとは言わないが――は大切な日常の一ピース。
 こうして迷惑で迷惑で迷惑なセンパイと遊ぶのも、山崎に言われなくても役得だ。
 彼女が身を乗り出せば、セーターの向こうで楽園の丘が揺れているし。良く揺れるし。最高だし。
「何でそんな事聞くんスか?」
「たまに居るのよね。『合わない子』」
「合わない……?」
「うん、ピントって言うのかな。表現するのは難しいのだけれど――場所と存在が釣り合わない」
「はあ」
「だからね、最初はそれが気になったんだけど。
 結果としてオマケだったかしら。今は個人的にとっても大好きよ。楽しいわ、亮君」
「はいはい。そうですか、そりゃ良かったですね!」
 全く意味の分からない事を言い出したセンパイに俺は苦笑する。
 センパイは良く分からない人だ。謎めいていて、話す時――たまに相手の理解を置き去りにする。そこがミステリアスでいいとのたまうヤツも少なくないが、実際の所、良く直面する俺に言わせれば絶対にこれは悪癖だ。会話は言葉と言葉のキャッチボールの筈だけど、センパイは顔面にナックルを放り込んでくる感じ。慌てて避けたら変化して避けた方に飛んでくる。当たり屋かい。
「ねぇ、亮君。私、霊感あるって言ったら信じる?」
「今度はオカルトですか」
「本当よぅー」
「センパイがずっと俺の事好きだったって今すぐ言い出す程度には信じます」
「あら、案外友達甲斐があるのね」
 どういう意味だ――と俺が言うより先にセンパイは続けた。
「霊感って言うのか、霊能力って言うのか、ソレ以外の何かなのかは分からないけど。ホントに私、見えるのよ。
 亮君は元々『繋がりが薄い子』だったけど、今日は特にそう。今すぐに風に飛ばされてしまいそうな程に、ね――」

 ……居眠りする前を極限まで鮮明に思い出した。思い出したら、予兆はあったと言えるのだろう。
 センパイは何時も変だが、今日のやり取りはそのセンパイをしても『明らかに変』で、それに突然降ってわいたファンタジーが重なれば因果関係が無いとも言い切れない。
 センパイの霊力だか超能力だかの真偽は置いておいて、彼女の意味不明トークに疲れてウトウトしてしまったのは何時頃だったか。
 目覚めたら俺はここに居て、センパイの姿は何処にも無かった。かくて俺は、岩の人改めドズさんと、羽メイドのラティと共に辺りを散歩しているという訳だ。
 センパイが何かしたかは知れないが、何もしていないのかも知れないが。見つけたら一先ずとっちめないといけないのは間違いない。
 事と次第によっては楽園の丘を征服する事も厭うまい。心を鬼にして、泣いて馬謖を斬らなければならない。誠に不本意極まりないが。
 男にはやらねばならぬ時がある!
「今、亮様、すごくぼんやりしていませんでしたか?」
「我ながら器用に回想シーンをこなしてたトコ。尺を考えたら、かなりの早回しだったって自分を褒めてあげたい位」
「はぁ……」
「案外テクニックが居るんだぜ。
 編集にも構成にも限界ってモンはあるしね」
「???」
 閑話休題。
「お前もしっかり周りを探せ!」
「あいたっ!?」
 ラティで遊んでいた俺の頭にドズさんの岩の拳骨が降ってくる。
 殺されかねない凶器にしか見えないけど、相変わらず峰打ち上手なドズさんは舌打ちしながらも痛い程度で止めてくれているご様子。
 ぐわんぐわんと頭は痛いが、スッキリしたと言えばスッキリした。
「でも、探すも何も……ねぇ」
 辺りには俺達と同じ事情でここに居る――沢山の人(?)達が居た。
 半魚人みたいな人、機械のような人。ドズさんに殴られるまでも無く、頭が痛くなる状況のパレードだが、ぶっちゃけた話とっくに慣れた。センパイの言を借りるなら、ここに居るのは皆『ピントの合わなかった人達』で、世界の迷子なのだろうか――俺も含めて?
「……まぁ、分かんないけど」
 夢でない事だけが確実なのが最悪だ。考えない方が幸せなのに、考えてしまうから気が滅入る。
 幾度目かの突き当たりに突き当たって下を見下ろしたら目眩がした。遥か眼窩には草原や山や――人の街らしきものも見えた。建物がまるで粒のように。
 落ちたら軽く百回は死ねそうで、高所恐怖症でなくても足が竦む。実に心臓に宜しくない。
「……どうも、ここは歩き回れない程は広くないみたいですね。
 広くないと言っても……何か浮島みたいなのが沢山ありますし、結構探検するのは大変かも知れないけど。
 うーん、困りましたよね。これ」
 悪い冗談は冗談では済まなかった。まさにここは――空中庭園。出る方法があるならいいけれど、無いなら完全に八方塞がりの牢屋みたいなもん。絶海の監獄アルカトラズ島ならぬ、絶空の監獄なんちゃってファンタジーって感じである。
「どうします?」
「どうしろって言われてもよ。
 どうしろって言うんだよ……飛べねえぞ、俺」
 ドズさんがチラリとラティに視線を送る。
「い、嫌ですよ。運べません!
 それに一人で見てくるのも怖いですもん!」
 三人(?)が慣れっこの困り顔をして顔を見合わせた、その時――
「……あの、貴方達。『旅人』よね?」
 ――石畳の向こう、階段の上から此方に声をかけてきた栗色の髪の少女が居た。参考までに、角度の所為で遠くスカートから覗いた布は抜けるような白だった!


前の記事

Pandora Party Project Q&A 003

次の記事

PRE STORY – 三章 –